Abasse(アバス)

EDANが最初に銀を託した職人です。いまも、EDANの作品の多くがAbasseの手から生まれています。何か迷うことがあれば、まず相談するのも彼です。周りの職人たちにとっても、工房の主として頼りにされる存在です。
1988年生まれ。ニジェールの首都ニアメ出身です。父方の祖父は鍛冶師で、離れた村に住む祖父を訪ねるたびに、鍛冶場に出入りしては、金属をかたちづくることに興味を持つようになりました。父はラクダのキャラバンで遠出することが多く、Abasseもときどき、その旅に同行しました。父が留守がちだったこともあり、15歳になるまでは、年の離れた兄が父代わりとなって育ててくれました。母は市場で野菜を売っていました。5人兄弟のひとりです。
かつてのトゥアレグ族は遊牧民として暮らしており、子どもたちが小学校に通う習慣もありませんでした。Abasseも小学校には通わず、Madrassa(マダラッサ)と呼ばれるイスラム教の学校で、数年間、アラビア語とコーランを学びました。フランス語や計算は、銀を売り歩く旅のなかで、少しずつ身につけていったものです。母語はアウサ語とジェルマ語。そのほかにタマシェク語、モレ語、アラビア語、ジュラ語、フランス語を話します。
彫金を学びはじめたのは12歳のとき。のちにニアメの彫金学校でも学び、2002年、同じニアメで、師となるRacid(ラシッド)と出会います。以来、Racidに師事し、複雑な彫金の技を学んできました。ふたりで、セネガル、マリ、トーゴ、ガーナと足を運び、展示会にも作品を出しています。2007年からはブルキナファソに拠点を移し、いまも首都ワガドゥグで銀を彫っています。
ブルキナファソでは、工芸総局(Direction Générale de l'Artisanat)に Artisan Bijoutier として公式に登録されており、ニジェールでは、首都ニアメの職人組合 Coopérative CMAN(Centre des Métiers d'Art du Niger)の一員でもあります。二つの国にまたがる、確かな立ち位置をもった職人です。
銀を彫るための鏨(たがね)と呼ばれる道具は自分でつくっています。鉄を削り、自分の手に馴染むかたちに整えていく、その道具から彼の銀は生まれます。
Abasseの彫りは、太く力強いのが特徴です。線には、迷いなく走らせた手の勢いがそのまま残り、機械には出せない、一点だけの表情が刻まれています。特に、集中したときに刻まれる一本の線には、彼にしか出せない表情が宿ります。
Abasseは師や目上の人を、深く敬う人です。Racidがニジェールから移り住んできたとき、Abasseは自分の家を師に明け渡し、自分自身はつい最近まで、敷地のなかの庭のような場所で、若者たちとともに眠っていました。屋根のある家に住むようになったのは、ようやく最近のことです。同じVillage Artisanalに工房を構えるMoustaphaは、Abasseにとって幼いころから知る、遠縁の年上の親戚。兄のように慕っており、迷うことがあれば、しばしば相談を持ちかけています。
同時に、年下や弟子たちからも、深く慕われる人です。ニジェールから修業のためにやってくる若い職人たちを自宅に住まわせ、寝食をともにしています。穏やかで愛嬌があり、年下の相手にも偉ぶることがない。そんな彼のもとに、若い人たちが自然と集まってきます。
ブルキナファソで国際的な工芸市があるときには、自分の家の庭を、ニジェールからやってくる職人たちに開放します。庭にはたくさんのテントが張られ、まるで、いっときのキャラバンの野営地のような賑わいになります。
工房は、首都ワガドゥグの国営の伝統工芸拠点 Village Artisanal の一角にあります。師のRacidも同じ工房で銀を彫っています。磨きを専門に担う同じトゥアレグ族の職人や、弟子たちもいて、つねに五、六人が出入りしています。地元の人がふらりと立ち寄ることも多く、工房はいつも賑やかです。
家族は、ニジェールにいます。妻は看護師として働きながら、4人の子どもたちと暮らしています。Abasseはひとりブルキナファソで銀を彫り、年に二度、家族のもとへ帰ります。いつかは家族を呼び寄せて、共に暮らしたいと思っています。ふたりの息子には、いつかトゥアレグシルバーを彫る道を歩んでくれたらと、願っています。
穏やかで、優しくて、愛嬌がある人です。銀を彫るその手のまわりには、いつも人が集まっており、その性格がAbasseのつくる銀の彫りにも表れています。
Moustapha(ムスタファ)

祖父の代から続く、トゥアレグシルバー職人の家に生まれた職人です。ブルキナファソの首都ワガドゥグにある、国営の伝統工芸拠点 Village Artisanal に独立した工房を構えています。
1978年生まれ。ニジェール南部の町・Maradi(マラディ)の出身です。
かつてのトゥアレグ族は遊牧民として暮らしており、子どもたちが小学校に通う習慣もありませんでした。それでも、教育に熱心だった両親のおかげで、Moustaphaは小学校まで通いました。母語はアウサ語、そのほかにタマシェク語、ジェルマ語、フランス語を話します。
10歳のときから、父を師として彫金を学び、コートジボワール、ガーナ、マリなどでの仕事を経て、2006年からブルキナファソに住んでいます。
Moustaphaの彫りには、細い線と、その線に含まれる軽やかな揺らぎがあります。ぴたりと合わせるのではなく、線がひとつひとつ息づいているような表情が、彼の作品を独特のものにしています。
Moustaphaは物静かで、控えめな人です。あまり強くものを言わず、自分を前に出すこともしません。それでいて、話していると、こちらまで優しい気持ちになるような、あたたかな空気があります。その人柄が、力を張らない彫りの気配に、そのまま表れているようにも思います。
Village Artisanal には、たくさんの店や工房が軒を連ねています。Moustaphaはそのひとつの工房を束ねる長として、4人の職人とともに手を動かしています。
最年長のRacidとは、ニジェール時代からの旧知の仲です。年も近く、いちばんの友。何かあれば、ふたりでお茶を飲み、静かに話し込みます。Abasseは遠縁の親戚にあたり、まだ幼かったころからよく知っているぶん、弟のようにかわいがっています。同じ工房長同士ということで、AbasseもMoustaphaを頼り、しばしば相談をしています。
家族は、奥さんと3人の子どもたち。加えて、親戚の子どももひとり引き取り、いまは合わせて6人で暮らしています。
言葉は少なく、そのぶん、彫りが多くを語る人です。
Racid(ラシッド)

いまEDANが銀を託している職人のなかで、最年長の人です。そして、Abasse(アバス)に彫金の技術を伝えた、師でもあります。
工房を束ねるのはAbasseですが、そのAbasseの技も、もとをたどればRacidの手から受け継がれたものです。弟子たちの技の、さらに源にいる人だと言えます。
1977年生まれ。ニジェール北部の町・タワの出身です。幼いころは、父についてラクダに乗り、400キロを超えるキャラバンの旅をともにしました。旅の途中で、父がトゥアレグシルバーを売る様子を、そばで見て育っています。Madrassa(マダラッサ)と呼ばれるイスラム教の学校にも、少しだけ通いました。フランス語や計算は、キャラバンの旅と、各国を渡り歩くなかで、学んでいったものです。
彫金を学びはじめたのは12歳のとき。父を師として、兄とともに学びました。のちに、カナダ人やフランス人の工房でも働き、そこで新しい技法を身につけていきました。
父からは、彫金だけでなく、Tifinagh(ティフィナグ)文字の書き方も習っています。トゥアレグ族は長く口承の文化に根ざしてきた民族で、日常のなかでこの文字を書き記せる人はごく限られています。父から子へ、代々家のなかで受け継がれてきた技のひとつです。
2023年、Abasseに呼ばれ、ニジェールからブルキナファソへ移り住みました。
Abasseいわく、Racidはどんなトゥアレグシルバーでも、見ればすぐに作り方が分かるといいます。込み入ったかたちや、難しい細工でも、つくり上げてしまう。長い年月をかけて磨かれた、確かな技を持つ職人です。
Racidの彫りは、深く、そして繊細です。細やかな線を丁寧に重ねていく仕事に長け、隅々まで神経の届いた文様が生まれます。印象的なフォルムをつくり出すことも得意で、EDANのアイディアを形作ってくれる手助けをしてくれます。
これまでに、ニジェール、ブルキナファソ、セネガル、マリ、トーゴ、ベナン、ナイジェリア、ガーナ、そしてフランスに渡り、国際的工芸市で作品を披露してきました。訪れた土地の文化や、そこで出会った人々が、いまのRacidの仕事の厚みをつくっています。
工房は、首都ワガドゥグの国営の伝統工芸拠点 Village Artisanal の一角にあります。Racidもここで銀を彫っています。磨きを専門に担う同じトゥアレグ族の職人や、弟子たちもいて、つねに五、六人が出入りしています。工房を束ねるのはAbasseですが、その師として、みなに敬われています。
同じ敷地内に工房をもつMoustapha(ムスタファ)とは、ニジェール時代からの旧知の仲です。年も近く、いちばんの友人。何かあれば、ふたりでお茶を飲み、相談し合う間柄です。
家族は、奥さんと6人の子どもたち。Abasseと同じ敷地のなかで、ともに暮らしています。長男はニジェールの首都ニアメの大学に通い、次男は父と同じくトゥアレグシルバー職人を目指して、同じ工房で見習いとして手を動かしています。
多くを見て、多くを知る。それでいて、少しも気負いのない人です。言葉より先に、背中で技を伝えていく。そんな職人です。